たまたまTwitterで面白い記事を見つけたので紹介するね
世の中の変な人の共通点
誰とは言いませんが、世の中に変な人っていますよね(笑)あなたの人生の中にも、
「えっ?何いってんの?この人」
「えっ?なんで分からないの?」
「あれ?前に言ってたことと違う事いってる」などなど、
TVや、仕事、交友関係なんかでも、残念な方は必ずいるものです。
また、仕事をしていると特に、
「自分を理解してくれない」
「部下とコミュニケーションがとれない」
「この人と話をしていると話がまとまらない」など
人間関係のもつれもありますよね。
これらの人たちには共通点があります。
それは “意見” に支配されているということです。
確かに自分の意見を持つことは大切です。
ただ、その意見の使い方に問題があります。
では “事実” と “意見” の使い方や、意識しなければ、ふとやってしまう注意点を確認し、
人間関係を良好にしていきましょう~
事実と意見の違いを意識してみる
ではまずアップとして、事実と意見の違いを見てみましょう
・ここはコンビニである
・ここは良いコンビニである
この違いわかりますか??
一つ目はここがコンビニであるのは事実なので、事実と言えます
二つ目はどうでしょう??
良いコンビニかどうかは、そう判断する人の考えです。中には悪いと思う人もいるでしょう。つまりこれは事実ではなく、意見になります。
こう見てみると、何が事実で意見なのかは分かりやすいですよね。でも普段自分がする会話はどうでしょう??
あなたは事実を話していますか??
それとも意見を話していますか??
ここがポイントになるので押さえておきましょう。
では次に応用編というか、少し分かりにくい例を。
・このコンビニの立地条件からすると駐車場の確保は必須であり、最優先すべきである
これはどうでしょう??事実ですか?それとも意見ですか?
一見すると事実のように思えますが、微妙なところですね。少し言い方を変えてみましょう
・このコンビニは最寄り駅から徒歩20分もかかる場所にあります。その為、駐車場の確保は必須と思われます
これはどうでしょう??先ほどよりも事実っぽく聞こえたのではないでしょうか??
それでも20分なら余裕で徒歩圏内って方もいるので、意見という見方もできますね。
このように実は事実と意見の境目は非常に難しいと言えます。
ですが、根拠となる、この例でいう20分という事実が、あるのと無いのとでは会話の内容が全く変わります。
確かに20分でも歩ける人はいるでしょう。でもほとんどの人が遠いと感じると思います。
駅から徒歩20分は駅近とは言えないですもんね。だから駐車場は必要かも、となるのです。説得力が増す、とも言えますね
そういう思考でいうと、前者の20分という情報がない会話というのは意見であると言えます。
では実際に、徒歩20分圏内なら問題ないっていう人と会話してみましょう。およそ、こういった会話になるのではないでしょうか??
「うちに駐車場は必要かな?」
「大丈夫じゃないですか??」
怖くないですか??(笑) 多分、何気ない会話ならやってしまっていると思います。
これが “事実” と “意見” の会話の正体です。
「うちに駐車場は必要かな?」という質問者は、相手の意見を聞いているように聞こえますが、実際は “事実” を聴いています。
なぜなら質問者は必ずこの後に、
「なんでそう思うの??」って聞くでしょ??(笑)
で、質問された側は、何となく自分の感覚で「大丈夫」って答えてしまいます。
ではこのようなやり取りだったらどうでしょう??
「うちに駐車場は必要かな?」
「駅から近いし、大丈夫じゃないですか??」
どうでしょう??
これなら “事実” を聴きたい人に、 “事実” + “意見” で返せているのではないでしょうか??
そうすれば、
「駅に近いって20分もかかるよ?普通の人は遠いと思うんじゃないかな?」
「そうっすかね?自分は平気っすけど、確かに普通の人は遠いと思うかもしれませんね」
っといった話が続くと思います。
まぁコンビニに駐車場があった方がいいかどうかは、そりゃ~あった方がいいと思いますけどね(笑)
このように、普段から
“事実” あるいは “事実より” な話しが出来ているか、あるいは
“意見” あるいは “意見より” な話しをしてしまっているかで大きな差になってしまいます。
友だち同士の会話なら問題ありませんが、一つ二つ上の会話をしようとなると、“意見のみ”の会話は重要視されていません。
もっとひどい言い方をすると、「お前の意見などどうでもいい」「お前の意見など聞いていない」となるのです。・・・言われたことありません??(笑)
もっと言うと、スゴイ人たちの考えや行動は、意見ではなく事実です。
“やりたいか、やりたくないか” ではなく(意見)、 “やるか、やらないか” だからです(事実)
出来ないやつほど、ウダウダいいますよね(笑)そういうことです
さて、ここでのポイントは、
“普段あなたは事実を話しているのか?それとも意見を話しているのか?” です。
また、
事実を主体に会話や行動をしているのか?
それとも意見を中心に会話や行動をしているのか?
しっかり押さえておいてください。
事実と意見の使い分けが出来ない、残念な人たちの性質
ここまでの会話で、
「あちゃ~、気をつけなければいけないな~」って思っているあなたは大丈夫です。
あなたは十分ここからお話しする内容についても理解を示し、今からでも実践できる人だと思います。
でも残念ながら世の中にはこれらが理解できない人たちもいます。
それが何故なのか??
その脳のメカニズムについてお伝えしますね
事実はなぜ人の意見を変えられないのか?
その答えは、
“出された質問が難しいと、人はそれを簡単な質問に置き換えてしまうから”
です(笑)
これ、かなり核心ついています。っというかコレが全てです
例えば、
・自分が知らないことや苦手としていることを、知っている、得意としていることに変換してしまう
・自分にとって都合が悪い事を、自分にとって都合が良いことに変換してしまう
・安易にこういうことでしょ?っと自分の言葉に変換して理解してしまう
「あ”っ-----------------------!!!!」
ってなりません??(笑)
大概、変な人を相手にする時、相手の特徴は上記のどれかに当てはまります。特に二つ目ね(笑)
仕事が出来ない人、よくミスをする人などの特徴は三つ目の人が多いです。
コミュニケーションが苦手という人も、本質的に上記のどれかに当てはまります。
では何故そのような事が起こるのか??
それが、
“人は出された質問が難しいと、それを簡単な質問に置き換えてしまう” からなんです。
ノーベル経済学賞受賞、ダニエル・カーネマン曰く、
人は出された質問が難しいと、それを簡単な質問に置き換えてしまうのは脳による防衛機能であるとしています。
これは人の性質である、空白の法則、に似ています。
空白の法則というのは、
分からないことを分からないままにしておくのは脳にとってかなりの負担になります。何せ不安だからです。だからそれっぽい答えを用意して安心してしまうのです。
これが凄いのは、人間の動物的本能の部分の話しなので、瞬時に判断してしまう点です。
例えば、朝遅刻した人がいたとすると、「寝坊かな?」とか思っちゃうでしょ?それです。
一種の固定概念みたいなものですね。
ここで、大丈夫な人(少数派)と、そうじゃない人(大多数派)に分かれるんですが、
大丈夫な人というのは、
分からないことを分かろうと努力する人です。調べたり、人に聴いたり、勉強したりして、きちんとその不安と対峙することが出来る人はめっちゃ強いです。
一方、多くの人は、
分からないことを分からないままにしてしまいます。調べたり、人に聴いたり、勉強したりするのが面倒なので、自分のこれまでの経験で良いか悪いかの判断をしてしまいます。ぶっちゃけ、めっちゃ物知りか、かなりの経験を積んでいるならまだしも、自分の経験で判断しちゃうのは早計で、間違っていることの方が圧倒的に多いです。
そして最後に、かなり痛い人というのが少数派で、
分からないことを分かったふりして、間違っていることを堂々と、さも合っているかのように振舞える人たちです。こういう人たちは、その答えを論破されちゃうと不安になっちゃうから、意地でも意見を曲げません(笑)きっと、こういう人たちは、少しでも勉強して教養を深めようとか、非を認めたら負けとか思っているんでしょうね(笑)
事実を意見に変えてしまうメカニズム
“人は出された質問が難しいと、それを簡単な質問に置き換えてしまう” 例として、
ダニエルさんが以下のような置き換えが発生していると教えてくれています。
・「絶滅危惧種のイルカを救う為にいくらの寄付が必要か??」
→自分が瀕死のイルカを見てどんな気持ちになるのか?
・「現在の生活は幸福か?」
→今の自分は気分が良いか?
・「高齢者を騙した詐欺師に相応しい刑罰は何か?」
→詐欺師に対し、自分がどのくらい怒りを感じたか?
ん?っと思いましたか??でもこういったことが実際に起こっているんですよ。
TVやSNSでも頻繁に起きていますよね(笑)
さて、実際にこれらの質問に答えようとする、あるいはこれらの問題を解決しようと思うのならば、
いくらの寄付が必要?⇒過去の実例やら、シミュレーションを立てなければ分からない
幸福かどうか⇒何をして幸福なのかどうか前提を決めなければ答える事ができない
相応しい刑罰は?⇒過去の実例や、法律を知らなければ答えられない
以上のことを、最低でも知っておかなければ話はできませんよね??
でも大抵の人は面倒だし難しそうなので、簡単な質問に置き換えてしまいます。
だから、
寄付が争点なのに⇒イルカへの同情をする
幸福かどうかなのに⇒今の状態を答えちゃう
刑罰の話しなのに⇒高齢者への同情をする
以上のように争点をずらして話してきます。
そしてアホな人はずっとそれしか言いません(笑)
このように、自分の都合の良いように解釈する動きを ヒューリスティック と言います
そして何が怖いって、このヒューリスティックは、無自覚・無意識でやっている事がほとんどであるということです。
言い換えると、論理的思考が出来る人と、そうでない人の差はココにあるということです。
事実をただ事実と認識、受け入れる度量や器量があるのか、無いのか、なのです。
問題の解決は、事実の中にしかありません。
絶対に、意見では解決しません。
それで解決するのでならば、とっくに世の中から争いや問題は無くなっています(笑)
つまり、意見ばかり言っている人というのは、事実から目を逸らしているか、無知なだけです。
そして意見ばかり述べる人に解決能力はありません。
確かに同情、人情、感情が出てしまうのは仕方ありません。人間ですからね。考慮に入れなければならない時もあるでしょう。
ただそれだけではどうしようもないという事実を、そして問題の解決とは程遠い要素であることを知らなければなりません。
ぶっちゃけ、
イルカや高齢者を救おうと考えた時に、自分の良し悪し、好き嫌いの感情なんてどうでもいいのです。
それが理解できるのか理解できないのか、ですね
事実を事実として受け入れる方法
まぁ方法と言いますか、慣れの問題ではあります。
まずは、
①ヒューリスティックっという脳の働きがある事実を知る、ということ
どんな問題解決も、まずはそういった事実がある、という事を認識するところから始めます。
謎の現象より、だからか~っと分かった方が問題は解決しやすいからです。いわゆるさっきお伝えした、空白の法則ですね。誤った認識や、分からないままでいるのは良くありません。
②しっかり時間をかけて考える
ヒューリスティックは脳の中でも早い思考回路、いわゆる直感的な判断になります
だからそれをパッと口に出してしまうと “意見” になりやすいのです
つまり、思いつきで口から言葉を出すのではなく、いったんは頭の中で考える事、が大事になってきます。
それが脳の中でも遅いシステム、いわゆる論理的思考を使います。
一つ一つを意識しながら検証を行い、回答するように注意を払えば改善できます
もし分からないことがあれば聞くなり調べるなりしましょう。そうすると余計な間違いやすれ違いは起こらなくなります。
そして最後のコレが一番大事なこと。それは、
③何にしても ”興味” を持つことから始まる
このヒューリスティックはそもそも、面倒、難しそう、という逃げの思考です。
つまり、それを克服しようとしなければ、正直どうしようもありません(笑)
よく考えて下さい??
建設的な話をするためには ”知識” や ”情報” があれば戦えるんです。
知識や情報がないから単なる絵空事になり、ただの ”意見” として相手にされないのです。
それを興味がない、持とうとしないから ”面倒” ”難しいそうだから無理” となるのです。
対人関係はどうですか??
そもそも揉める原因というのは、それぞれが相手に興味を持たないことから始まるんですよ??
お互いがお互いに興味を持ち、お互いを知ろうと努力し、理解しようと努めれたら正直揉めません。むしろ関係は深くなります。
では何故いさかいが起こるのか??
相手に興味がないから、自分の主張ばかりするからでしょ??
え?この人大丈夫?って思える人というのは、面白いくらい自分にとって都合が良いことしか言いませんからね
だから、
何にしても ”興味を持て” っというのが基本なのです。
それを面倒だとか難しそうだとか言っていてはダメなのです。
そんなもの、面倒で難しいに決まっていますからね(笑)わざわざ言われなくても分かっていますよ
だからこそやるのか、やらないのか
それだけなのです。
やる人はやっているんです。やれるからやるのではなく、ね
もう当たり前のことを言いますが、みんな最初は出来ませんから
その上で、それを実践する為にも “なぜ?” という考え方は非常に重要です
例えば先の例でいうと、
なぜ絶滅危惧種のイルカを救わなければならない??
なぜ現在の生活が幸福かどうかを知らなければならない??
なぜ高齢者を騙した詐欺師に相応しい刑罰を考えなければならない??
この何故がハッキリしていたら逃げの思考にはならないと思います。
だって、イルカや高齢者を救う理由が仮に “かわいそう” であったとして、じゃ~実際に調べてキチンといくら必要なのか?相応しい刑罰は何なのか?の答えを出す必要があります。
それを面倒、難しそうと逃げるのであれば、あなたが感じた “かわいそう” は何だったんだ?ってなりますからね(笑)
イルカや高齢者を優先するの??
それとも自分を優先するの??
嫌な質問ですが、世の人の行動原理ってコレしかありません。
【あれ?やっちゃってる?? 実例 ① 】
「昨日の営業、途中退席してごめん。お客さん、ウチに依頼するか、決めてくれた?」
「大丈夫だと思います。」
「大丈夫って……決まったのか、決まってないのかが、知りたいんだけど。」
「あ、まだ決まってないです。」
「そうか、決まるかなと思ってたけど……。お客さん、何か懸念事項について言ってた?」
「金額について不満そうでした。」
「もう一度聞くけど、不満だと「言った」の?」
「いえ、たしか……言ってないかと。」
「じゃ、なんで不満だと言えるの。」
「えーと…」
「もう一度聞くけど、なんて「言ってた」?」
「ええー……確か、金額については交渉の余地がありますか、と言ってました。」
「交渉ね……、なんて回答したの?」
「私の一存で決められませんので、持ち帰りますと。」
「そしたらお客さんはなんて言った?」
「納得してくれたみたいでした。」
「だ、か、ら、お客さんはなんて言ってたの?」
「あ、すみません。えーと……確か、わかりました、と言ってました。それと、今思い出したんですけど、見積もりを指定の様式にして欲しいとも言ってました。」
通常、意見でしか話せない人との会話は成立、読み解くのに3倍時間がかかると言われています。
上記のようなやり取りをしていたら、そりゃ~大変ですよね
【あれ?やっちゃってる?? 実例 ② 】
上司:「昨日、顧客訪問が3件あったと日報に書かれてるけど、今期の受注に繋がりそうな成果があれば、報告してもらえる?」
部下:「あ、一つ困ったことがありまして。お客さんから会社の概要について詳しくわかる資料はないか、と聞かれたんですよ。」
上司:「(成果を報告しろと言ったのに……)会社案内なら、この前発注をかけたので、後ろの棚に入ってるよ。」
部下:「いえ、あれじゃダメなんです。」
上司:「なぜ?」
部下:「違うのがほしいということでした。」
上司:「(は?質問に答えろよ……)いえ、私が聴いているのは、「なぜダメなのか」だから、理由を教えてもらえる?」
部下:「うちの会社案内、サービス案内が不十分だと思うんですよね。」
上司:「あなたの意見ではなく、お客さんがなんと言っていたかを教えて。」
部下:「ですから、違うのがほしいと。」
上司:「(イライラ)いや、お客さんが、なぜこの会社案内がダメだと言っていたのか、聴いてないの?」
部下:「えーと、さっきも言ったとおり、サービス案内が不十分だったと思いますが。」
上司:「(イライライライライライラ)だーかーらー、あなたの感想ではなく、なんてお客さんが言ってたんだよ?」
部下:「あ、それは聴いてません。でも多分サービス案内のせいだと思います。」
上司:「(結局聴いてないのかよ)……わかりました。聴いてないと。ではなぜ、サービス案内のせいだと?」
部下:「会社案内を見せたら、サービス案内のところを見て色々と質問してきたからです。」
何がタチが悪いかって、この部下の人に悪気はないってこと。
ただ主観でしかモノを話せないというコミュ障の典型って感じですね
そして、こういう人をもっとタチを悪くすると、人のせいにしだします。この場合だと上司が自分を理解してくれない、とかね(笑)
上司からすると、「いやいやいや」っとなる話しですがね(笑)
世の中というのは出来る人ほど損や面倒を被りやすい傾向にあるので、覚えておくと少しは氣が楽になるかな?(汗)
会話やコミュニケーションというのは実は非常に高度な技術
もうね、結論は ”興味を持つこと” これに始まってこれで終わって、そしてまた始まるのです。
自分の好きとか嫌いとかね、本当にどうでもいい話しなんです。必要なことならやれ!です。
自分のアレでしょ?コレでしょ?という浅い知識でモノを喋ってしまうのもね、ハッキリいりません。専門家になってから言えって話です。
自分の良いとか悪いとかの基準?本当にどうでもいいです。同じく必要なことならやれ!です。
一番おそろしいことは思考ブロック(=停止)です。
思考ブロックは必ず “面倒くさそう” “難しそう” から始まります。
そして人は慣れ親しんだ生活、知識、環境であるコンフォートゾーンに依存します。
人は慣れないことをしようとすると極端に拒否反応を起こします
これも覚えておくと良いと思います。
例えば、ダイエットしようと思ったのに、なかなか長続きしないって話はざらにありますよね??
それがこのコンフォートゾーンの仕業だったりするのです。
なぜなら肥満な人にとっての、慣れ親しんだ生活、環境とは肥満だからです(笑)
つまり頭では痩せなきゃと思っていても、その人にとっての慣れは肥満だからこそ、ダイエットしようとすると、それはコンフォートゾーンの外、つまり不慣れなんですよ。
人間の脳は不慣れを嫌います。だからすぐにやめてしまうのです。
方法は一つしかありません。
その不慣れを慣れに変えるだけです。つまり、やり続けるしかないのです(笑)
なんだか根性論みたいな話になってしまいましたね。
まずは ”何にでも興味持つ” という意識をもち、そして知ろうとしましょう。
最初はコンフォートゾーンが邪魔するので大変なのはもう分かっています。
あとは、やるかどうかだけです。
よく「私、人見知りなんです」って胸張って言う人いますけど、なんでそんな胸張って言えるのか私はいつも不思議に思っています。
だってココまでの話しでご理解いただけると思いますが、単に ”他人に興味がありません” って言ってるってことでしょ??(笑)
ただヤベ~人ですよ?その人(笑)
人見知りで得することなんて何にもないのに、、胸張っちゃうんだから、よく理解できないです。
だからコミュニケーションが苦手って言葉で逃げないでくださいね
例えばクレーム対応にしても、下手な人っていうのは、
「あ~うっせ~な~。面倒くさい客だな~」って興味を持たないから適当な対応をし、余計相手を怒らせているだけですからね?
コミュニケーションが苦手とか、下手とかじゃなくて、単に相手を知ろうとする努力が欠如しているだけですから。
何で相手が怒ってるのかを分かってあげられたら、 ”共感” になります。
共感を示してあげられたら、相手の怒りはおさまります。
その共感なくして、「私はこう思う」「だってこうでしょ?」なんて言おうものならドカンですよ(笑)
仕事にしても、交友関係にしても、何にしても同じです
「こんなものだろう~」って適当に、そして興味を示さないから
「こんなハズじゃなかった」って失敗するのです
覚えておいてほしいのは、
会話は決して “意見” × “意見” であってはいけません
必ず “事実” × “事実” です
そしてそれが重要な話であればあるほど、その傾向は強くなります
なぜなら 意見×意見 に正解などないからです。
事実×事実だからこそ、お互いの問題点をキチンと話し合い、解決に向けての建設的な話が出来るのです
主観、適当、勝手な解釈をする危険性を知りましょう
いかがでしたか?? ”事実” と ”意見” をきちんと使い分けなければならない理由が分かったと思います。是非ご活用ください