気づかないうちに悪行を積んでいませんか??
まずはヨーロッパの格言にこのような言葉がありますのでご紹介しますね 🙂
地獄への道は善意で舗装されている
続いて、
地獄は善意で満ちている。天国は善行で満ちている
何とも辛辣な言葉ですが、非常に的を得ている言葉だと思います。
善意、という言葉はもちろん良い意味なのですが、だからといってオールOKかと言われたらそうではありません。容量用法をキチンと理解していなければ、とんでもない悪行を犯す事になるのでかなり注意が必要です。
「そんな大げさな…」
そう思われる方もおられるでしょうが、そう簡単な話しではありません。
ずばり核心を突きましょう。
あなたにとっての良い事は、他人にとってはそうとは限らない
これに尽きます。
単純な例えをしましょう
私はピーマンが嫌いですが、ピーマンが好きな人もいます
だから私がピーマンは苦いから食べるのは止めておけ、というアドバイスは、ピーマン好きからしたら余計な一言なのです。
でも私の視点から見るとあくまでもそのアドバイスは “善意” からくる一言なのです(笑)
このような例えをみると、あぁ~なるほど~ってなるかもしれませんが、
意識していない人は必ずと言っていいほど、やらかしていると思います。
なぜなら、これはこういうモノ、っという先入観あるでしょ??
人というのはこれまで培ってきた経験やスキルがあればあるほど、人に対してアドバイスや断定した言い方をしてしまいがちです。
それは結局のところ、私のピーマンの話しと一緒になってしまうのです。
無意識、無邪気な罪ほど重いものは無い
悪行の中で、まだ悪意をもって行動している方が、無意識、無邪気な悪行よりかわいいモノとなります。
なぜなら無意識、無邪気はそもそも罪の重さに気づいていないからです 😐
っというのも、あなたのそのアドバイスによって、相手の人生が大きく変わってしまう可能性があるからです。
あるいは、あなたのそのアドバイスによって、相手を傷つけてしまう可能性があるからです。
このことを常に頭の中で留意しておく必要があります。
いいですか??
あなたにとっては必要ないことでも、相手にとっては必要なことなんて山のようにあります。
だから、あなたは ”断定” を避けるべきなのです。
これはこういうものなんだ!という固定概念は捨てましょう
「私はこう思うのだが、君はどう思う?」っと相手に伝えてあげるのがベストなのか、ベターとなります。
もし仮に、自分が意図していないことを相手がやると言い出したら、それは黙って見守るべきなのです。
なぜならそれはその人にとって必要な経験になるかもしれないからです。
とはいえ、看過できない事案の場合は、その限りではなりませんがね(笑)
ただその看過できない、っというのもその人の主観なので、難しいところではあるのですがね 😐
しょうもない私の経験談
私は20代前半に以下のような経験をしてからというもの、常にそのことを頭に入れながら会話に気を遣っています。
内容的には凄くしょうもない話しなのですが、もしかしたら皆さんもそういった似た悔しい想いをしたことがあるかもしれません。
あれはおじいちゃんが亡くなって、家にお坊さんをお呼びしてお経を唱えて貰っていた時の話しです。
その時に私は謎に、このお経が終わるまで正座を崩さない、という誓いを勝手に立てていました。
で、思ったよりもお経が長く、普段正座なんてしないから、どんどんどんどん辛くなってきます。
そんな様子を見て隣にいたおばぁちゃんは、崩してもいいんだよ?と言葉をかけてくれます。
私は、「いや、大丈夫」といい、歯を食いしばって我慢しました。
ただ本当にお経は長く、もう体はプルプル震えていたし、冷や汗もかいていました。おそらく顔色も悪かったです。
それでも我慢していたのですが、隣でおばあちゃんはずっと、崩しなさい、何をやっているの、と私の身を案じて声をかけてくれます。
そしてとうとう私はその言葉を受け入れて正座を崩しました……の数秒後にお経は終わったのです。
私は悔しくなって家を出て、仕事でいなかった父に電話をしました。
悔しさのあまり涙を流しながら事の経緯を父に伝えると、父は一言。
「人生ってそんなものだ」と…
はい、なんともしょうもないエピソードでしたが、私にとっては衝撃的な経験でした(笑)
おばあちゃんはきっと、優しさで私に声をかけてくれていました。
また、そんなに畏まる必要もないよ、というのも伝えたかったのかもしれません。
ただどちらにせよ、その言葉は私にとっては目的を達成する上での障害でしかなかったのです。
そして私の意志で正座を崩しました。誰も悪くはありません。悪いのは私です。だからかなり悔しかったのです。
このように、あなたにとっての優しさは、必ずしもその人にとっては優しさになるとは限らない、ということです。
人は簡単に優しさ、という言葉を使いますが、優しさとはそんな単純な話しではないのです。
獅子は我が子を千尋(=せんじん)の谷に落とす、という言葉がありますが、そういった優しさもあると思いますよ 🙂
っということで、今回のお話しは、
あなたの善意は必ずしも善行に繋がるとは限らない、というお話しでした。
善意と善行は全く違う事が分かったと思うので、是非今後に活かしてみて下さい
ではまた☆